こんにちは

カウンセリングサービスのなかやしのぶです。

 

最近の私は、どうも母を愛していた自分を受け入れなければならないようです。

ひとりになると、ふとした場面で、心がザワザワします。

 

スーパーで買い物をしている時、なぜか心が揺れるんです。

お風呂に使っている時、料理をしている時、洗濯物を干したりたたんでいる時、母を思うと涙がこぼれます。

こんなにも母のことが出てきてしまうと、母との別れが近いのかと不安にもなったりします。

 

私が、母への思いに素直になる時期がやってきたみたいです。

だから、母のこと4を回に分けて書いてみようと思います。

今回は、その3回目です。

 
↓↓こちらが1回目、2回目です




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が亡くなってしばらくすると、母の暮らす実家のお隣さんが、「お母さんね、お父さんがまだ帰ってこないのと言って、夕方になると家の外でお父さんの帰りを待っているのよ。まだ帰ってこないからお家で待っていればと声を掛けているのよ」と、教えてくれました。

 

母の失くし物のかばんや、財布の中には、決まって父の写真がハンカチやティッシュに包まれて入っていました。

時には、枕の下に写真があったり、枕元に写真立てに入った父の写真が置いてあったりしました。

父の位牌や家嫌遺影写真は、普段使わない部屋に移されていました。

 

私と妹が泊りに行くと、夜中に私たちが寝ているところにやってきて、「お父さんどこ行っちゃったのかしら?」と、言うこともしょっちゅうありました。

時には父が死んだことを理解していたりもしましたが、父のものを処分しようとしても、「捨てたら困る」と言って、父のものがなくなることを嫌がりました。

 

私は、そんな母が可愛そうで「お父さんは、出張だから帰らないよ」とウソをついてしまいます。

父の位牌も、遺影写真も、母が移動させたままにしています。

ミモザ

 

私は、母が認知症だと思い出してから、認知症について ネットで調べたり、本を読んだりしました。

何かの本には、現実逃避から認知症になると書いてありました。

本人の望んだことだから、周りの人たちは悲観しないようにと書いてありました。

 

だから、私はその本を読んで、母は頼れる父が居なくなる現実、一人になってしまう寂しさや悲しさから逃げたかったのだと思っていました。

いきなり病名を告げられ、余命宣告をされ、死にたくないと思いながら、どうすることもできずに死んでいく父の方が辛いはずなのにと、そんな母をずるい、弱くて情けないと思いました。

 

実際に母は、父の闘病生活中、しっかりとお世話をすることができず、父が亡くなった時も、悲しみを感じているようには見えませんでした。

父への思いを感じにくかったので、母が自分勝手な人に思えて腹を立てていました。

 

しかし、父が居なくなってからの母の言動に、母の中に父しかいないと思うようになりました。

父に会いたくて、父を待ち続けているのだと思いました。

父が居ないことが悲しくて、位牌や遺影写真を見えないところに置いたのだと思いました。

私は、そう思うと、切なくて、たまらず涙が出ました。

 

*

 

続きはまた今度。

 

あなたが、自分に素直になれますように。

あなたが、怖れより愛を選べますように。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。